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今も、多くの人に慕われている良寛さま
61160-極小仏像「良寛(座)」
どなたへもオススメできる定番の極小仏像。ご自身のお守りとして、ご家族、ご友人への贈り物として、お求めいただける逸品です。
良寛は、子ども達と遊ぶことを好み、隠れん坊や、手毬をついたりして、よく遊んだといわれています。
本作でも、良寛が手毬を手に持ち、子供達をやさしく見守る慈愛のお姿が、見事に表現されています。
■サイズ:高さ52mm
■材質:銅製
※極小仏像は、寺院、美術店、気功、風水、占い、占星術などの業務用としても利用されております。
解説:良寛
■良寛は宝暦8(1758)年、越後国(新潟県)三島郡出雲崎で代々名主兼神職を務める橘屋山本家の長男として生まれました。幼名を栄蔵といい、性格は温和であったが社交性に欠け、昼行灯(ひるあんどん)とあだ名されるほどだったといいます。しかし、幼少の頃から読書を好み、大森子陽の塾に入り和漢の学を修めています。
■十八歳のころ、名主見習いとなった良寛は、そのわずか数ヵ月後に突然、理由は定かではありませんが、曹洞宗光照寺に駆け込み、出家します。この光照寺で良寛は、越後へ巡錫(じゅんしゃく)にきて、しばらく同寺に滞留していた国仙和尚と出会い、そして、その徳を慕って弟子となり、故郷を離れ、玉島へと向かいました。
■玉島の円通寺に移った良寛は、厳しい修行に耐え、寛政2(1790)年三十三歳で師から印可の偈(げ)を与えられます。しかし翌年、国仙和尚の死を契機としてか、諸国行脚の旅に出て、その後、寛政8(1796)年頃故郷に帰り、天保2(1831)年に74歳の生涯をとじました。
■良寛は財産、名誉、権力など、人間を惑わす全ての想念を取り払い、隠遁僧として自然を愛し、山中独居、乞食行脚(こつじきあんぎゃ)の生活を厳しく実践しました。生活は貧しくとも、人としての恩愛の情を堅持していました。ですから、大人も子供も良寛に対しては、疑念を持たず安心して接していました。また、良寛は人間だけでなく、草や木、動物にまでも同じ愛情をもって接しました。
このミニ仏像はすべて手作りのため、現物と写真によっては、デザイン・色合い等が若干異なる場合もございます。あらかじめご了承ください。
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